・(2007/8/13掲載)
このショップニュース(保存版)を書くキッカケを作ってくれたTさんから、↓記メールを頂きました。
遊人さん、お久し振りです。ブログを愉しく読ませて頂いています。
7/18更新の鉄棒の話を読んで、へぇー!!小学生の頃にこんな友達欲しかったなぁって・・。
そう思ったら、ハナペペファンの皆様に まだ夢を追い駆けはじめた頃の20歳の頃の遊人さんを紹介したくなりました。
遊人さんと日本ジュエリーアカデミー(NJA)の教室で机を並べていた時代は、松任谷由美がまだ荒井由美と名乗り、活躍されていて、甲斐バンドやイルカなど、ニューミュージックと呼ばれた歌が流行っていました。
北海道から上京した私は当事、東横沿線で6畳一間の部屋を2万円を切る額で借りる事が出来ました。当時の電車内ではベルボトムのG-パンをよく見かけたなぁ〜。
代々木に在ったそのスクールは空が暗く染まった頃、仕事帰りの若い夢追い人の熱気でいっぱいに。
そんな空気の中で授業の初日、遊人さんに初めて出会いました。端整な顔立ちで深い黒色の瞳には、その眼で何を見て来たのだろう?って思わせるような独特なムードを漂わせていて、自己紹介の時、「沖縄・・・」と話されたので、北国育ちの私には強く印象に残ることになりました。
授業が始まり数日経つと、デッサンが上手く、手先が器用で呑み込みの速い遊人さんはNJAの授業内容では飽き足りない様子でした。
いつも何かを模索しているようで眉間にたてシワを寄せてたっけ。 でも、ここからが遊人さんの凄い所。
短い夏休みが終わりスクールに行くと、遊人さんを囲んで教室内から楽しそうな笑い声が。オーナープロフィールに載っている遊人さん手作りのクラッチバッグを見たのはこの時だったと記憶しています。その器用さに驚き、私のバッグを作って!と注文したのが、メールで写真を送った30年前間愛用しているバッグです。
その頃から求めていたものを得たかのように、以前とは違った姿勢で主に鋳金(銀細工)で作品を作られていたと想います。その時の遊人さんが作る独特な作品には目を見張る物がありました。
特に、指をリアルな両手で抱きかかえるデザインの指輪は、今まで見た事もない発想で良かったなぁ。
新年を迎へ のん気に過ごしている私の処に、「兄危篤直ぐ帰れ」と連絡があって帰郷し、しばらくして東京に戻りスクールへ顔を出すと、"沖縄に帰るんだって≠ニの噂を耳に。
直接訊いてみたら 「沖縄へ戻りハンドメイドと道玄坂に在るような雑貨ショップをやりたいんだぁ」と一冊のノートを見せてくれました。
わぁー!! びっしりと綴られた文字と、その夢を実現して行く為の青写真がそこには画かれていました。
それから何ヶ月か過ぎて、「僕は今、沖縄の一番美しい島で手作りの店をオープン・・」
昨年の06年、思いもよらなかった再会からもう一年経つんですね。
国際通りで、鶴が舞う和柄アロハに誘われてハナペペ&海遊人の中へ何故か引かれて入ったら、そこに記憶に残っていた深い黒色の瞳と、こぼれる笑顔を見たときは、ホント 驚き!
頭の中で記憶の配線が一瞬にしてジュッと、固まってしまいました。
竹富島で手作りの店をオープンさせた後、多くの方々と出会われ、様々な体験をされてきたんですね。何の後ろ盾も無く、沖縄に生まれ育った当時20歳の青年が夢を追い駆け、たった一人で沖縄発のブランドショップを創造したんだもの、これって凄い感激!!!
一過性のブームで終わらず、多くの新旧のファンを持ち、それぞれの方達に支持されているハナペペって・・・。
以前にも書かせてもらいましたが、その捕らわれの無い生き方が公人として
より多くの人に影響して行くと、何か嬉しいなぁ、と思う私です Tより
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